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2013年12月02日

やなせたかしさん 孤独が生んだアンパンマン

やなせたかしさん 孤独が生んだアンパンマン
朝日新聞 2013年12月1日

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十余年前、妻が夜勤のとき、私が保育園児の息子2人に夕食を
食べさせ、寝かしつけなければならなかった。
その際、アンパンマンのビデオにどれだけ助けられたことか。
慌ただしい子育ての日々を乗り切れたのはアンパンマン
おかげだった。

やなせたかしの訃報を聞いて彼の著作を読みあさった。
結論から言うならやなせは孤独に苛まれつづけた人だ。
しかし、その孤独なくしてアンパンマンは生まれなかっただろう。

やなせの人生と思想を知るうえで最適の書は
アンパンマンの遺書』である。これを読むと彼がどれほどの
苦難を乗り越えてきたか、よくわかる。

戦前、5歳で父親と死別。7歳のとき母親は再婚して家を出た。
やなせと弟は高知県南国市の伯父のもとで育てられた。

ハンサムで快活な弟は皆に愛された。
だが、不器量なやなせは「暗くてシャイな性格に」なり、

取り柄は絵を描くことが大好きなことぐらいだった。

日中戦争で徴兵され、飢えに苦しみつつ中国大陸を1千キロ
行軍した。弟はフィリピン沖で戦死した。遺骨はなく、骨壺に
一片の木片が入っていた。

■「正義」とは何か

戦後、漫画家になったやなせは番組構成から舞台美術まで
何でもこなす器用さが災いし
「四十歳を越えてもまだ自分の方向がまったくわからなかった」
「友はみんなひと花咲かせて、はるかに遠くを走っていた」
「漫画家としては絶望だと思った」

当時の彼の心象風景は『ユリイカ』のやなせ特集に掲載された
昔のイラストに描かれている。絵柄からにじみ出る哀しみに
胸を衝かれる思いがする。

その哀しみの中からアンパンマンは誕生した。物語の根底に
あるのは彼の孤独な生い立ちと飢えに苦しんだ戦争体験だ。

少年時代、「なんのために生まれて なにをして生きるのか」
アンパンマンのマーチ)と彼は自問を繰り返した。

戦争中に教え込まれた「聖戦」は、敗戦を境に「悪魔」の所業に
逆転した。正義はある日突然逆転する。では、逆転しない
正義とは何か。自分を犠牲にしても目の前の飢えた人に
一片のパンを差し出すことである。

アンパンマンは当初大人たちから「顔を食べさせるのは残酷だ」と
ひんしゅくを買った。
だが、描きつづけるうちに3〜5歳児の間で人気が広がった。

その後の事情は『絶望の隣は希望です!』に詳しく書かれてある。
出版社から「読者は小さな子供だからレベルをうんと下げて」と
言われてもやなせは肯んじなかった。アンパンマンを描くうちに
幼児たちの恐ろしさが見えてきたからだ。

彼らは「真っすぐな目」を持ち、「気に入らない本は放り投げる。
冷酷な批評家」だ。やなせは自分のメッセージを子供たちに
真剣に伝えることにした。

「正義とは何か。傷つくことなしに正義は行えない」
■太陽のような力

アニメ化でアンパンマン人気に火がついた1988年秋、
彼を支えてきた夫人が乳がんに冒されていることがわかり、
5年後に亡くなった。やなせは仕事にかまけて夫人の不調に
気づかなかった自分を責めつづけた。

父、母、弟、そして妻。別離の悲しみに押し潰されそうに
なりながら、それを乗り越えて愛と勇気の物語は綴(つづ)られた。

震災後、ラジオ局には「アンパンマンのマーチ」のリクエストが
殺到した。アンパンマンには太陽のような力がある。
これからもその輝きが失せることはないに違いない。

◇うおずみ・あきら ジャーナリスト 51年生まれ。
『冤罪(えんざい)法廷』など。


コメントです。

「アンパンマン」のやなせたかしさんの話題です。
上の写真、素敵な笑顔をされていますね。
癒されるのはもちろんですが、
切ない気分にもなります。

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posted by salsaseoul at 00:51| Comment(0) | TrackBack(0) | その他
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