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2013年11月10日

8時間以内に世界展開「国境なき医師団」とは?

8時間以内に世界展開「国境なき医師団」とは?
THE PAGE 11月9日(土)


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海外の紛争地や被災地のニュースが伝えられると、たびたび
「国境なき医師団」(MSF)という言葉を目にします。
病気で苦しんでいたり、傷ついた人たちを助けたりする医師の
グループということは想像できますが、どんな特徴のある
組織なのでしょうか?

1971年にフランスの医師らのグループによって作られた
人道援助団体です。
国連の関連組織と思われることもありますが、実際は
国連とは関係のない100%民間の団体です。

活動資金の大半は、個人や法人からの寄付金です。
政府からの金銭的な援助があると、すぐに医師を派遣したい
国があるのに、政治的な意図によって活動地や活動内容が
左右されたり、現地の紛争当事者に受け入れてもらえない
おそれがあったりするためです。

 
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活動は世界中に及んでいます。オランダ、スイス、スペイン、フランス、
ベルギーをはじめ、アメリカやインド、香港、日本など世界中に28の
拠点があります。2012年は現地スタッフも合わせ、約3万5000人が
アフガニスタンやシリアなど72か国で活動しました。

「国境なき医師団」の活動を特徴づけているのは
医療活動」と「証言活動」の2つです。

医療活動」は、緊急援助を専門としています。
世界中のどこにでも48時間以内にチームを展開する機動力があり、
エアテントで無菌の手術室を備えた病院を設置することもできます。
医師だけでなく、活動する医師らを支えるため、現地で飲み水を
確保したり、物資の調達を行ったりするスタッフもいます。

「証言活動」は、いわば広報活動ですが、自分たちの団体をPRする
ことだけが仕事ではありません。活動地では、虐殺など、多くの
人命を危機にさらす見過ごせない事態を目撃することもあります。
国際社会からより多く支援が届くよう、ジャーナリストとして現地の
証言を集め、写真やビデオを撮影し、世論を喚起するという
役割を担っています。

 
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「国境なき医師団」の医師は、同じ医師でも求められる
スキルは特別です。

海外で活動するため、最低限英語が話せる必要があります。
現地では機材が十分にそろわないため、限られた設備で
診療ができなければなりませんし、日本では滅多にみない銃弾に
よる傷の手当もできなければなりません。
母国にない病気も治さないといけません。

彼らは本業を持っているという意味ではボランティアですが、
無償で活動してはいるわけではありません。経験によって
異なりますが、月14万円以上が支払われます。
食費などは共同生活で賄われます。

 

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日本では、1992年に日本事務局が発足。東京にある事務局
オフィスには約40人のスタッフが働いています。これとは別に、
すぐに派遣に応じられる日本人医師ら300人がいます。
2012年には、日本からアフガニスタンやシリア、パキスタン、
中央アフリカ共和国など27の国と地域に62人がのべ94回
派遣され、援助活動をしました。東日本大震災では、機動力を
生かして、翌日には医師など6人のチームがヘリコプターで現地入り。
その後ものべ41人が被災地で医療援助診療所開設活動にあたりました。


関連記事です。
「国境なき医師団」の厳しい現実

2011年の民主化運動を機に内戦状態が続くシリア。すでに戦闘を
避けて200万人以上が避難したといわれるが、今も周辺国への
避難を望むシリア人の数は増加の一途だ。人道的援助活動は
まったく追いついていない。

国境なき医師団(MSF)はシリア政府の「認可」を得られないまま
援助活動をしていたが、11年3月に治安悪化で活動をいったん
中止したという経緯がある。しかし12年6月にシリア北部の
空き家を仮設病院として立ち上げ再スタートした。

現在、シリア北部のトルコ国境近くで3カ所の病院を運営している。1

2年6月以来、1万件以上の治療、900件以上の外科手術を
行っている。麻酔科医として05年からMSFの活動に参加、すでに
8回の派遣歴を持つ初雁(はつかり)育介さんは昨年8月末から
2週間ほど、このシリアに派遣され、14〜15床の小さな
病院で診療に従事した。

「運ばれてくる患者はさまざま。市民か軍人か、政府軍か
反政府軍かは関係ない。私の出番は麻酔を使った手術を
必要とする重傷患者のときだ。多いときは1日十数人が
運ばれてくる。しかも爆撃や戦闘が起こるのは、主に夜。
夕方から翌朝までが特に忙しい」(初雁さん)

初雁さんを含む外国人スタッフは医師、看護師、ロジスティシャン
(物資の手配や搬送など、活動を補助する職員)など含め、
入れ替わりはあるが常時8〜10人程度。後は現地スタッフだ。
コミュニケーションは英語、あるいは通訳を交えての会話だ。

運ばれてくる患者のほとんどは爆撃や戦闘によるケガ人だが、
その中には「体の一部が吹き飛んだ人、弾丸数発が腸や肺を
貫通して穴が開いた人などがいる。その穴が開いた大腸を
取り出して一つひとつ穴を縫い合わせるという手術も行った」
(同)という。

身の危険は感じないのか。基本的にはシリア国内の戦闘の
激しい地域では医療活動をしない。だが、戦闘地域内ある
現地の病院に医薬品を届けるスタッフには命の保証はない。
街なかの病院が爆撃対象になったり、焼き討ちに遭うことも
あったという。「医療活動していた仮設病院の近くでも、朝方、
銃を乱射する音が聞こえるときがある。そんな時は体を伏せて
身を守った」(同)。

爆撃、戦闘から逃れようとするシリア人が集まる国境付近は
難民キャンプとなり、そこは衛生状態が悪く、コレラなどの
感染症も発生している。また、難民キャンプにサソリが出て
大騒ぎになったこともあるという。

文化や宗教の違いも、時に診療を難しくする。
「ムスリムは、男と女は完全に部屋を分ける。また、女性は
人前では肌を出さないだけでなく、男性には体を触らせない。
だから、女性専門の女性スタッフチームが必要になる」(同)。

外国人スタッフだけでは限界はある。しかし、まだまだ現地
スタッフの医療知識レベルは低い。文化や感覚の違いもあるが、
どうやってスタッフ教育をしていくか、援助活動を続けて

いくうえでの課題は山積している。
紛争とHIVと睡眠病…高い幼児死亡率の最貧国

アフリカ大陸の中央部に位置する中央アフリカ共和国。
1960年フランスから独立した後も政情不安が続いている。
ダイヤモンドや金、ウランの産出国だが、経済発展には
結び付いていない。国際社会からの支援金や支援物資は、
どこかで消えてしまう。政府は存在するが、国民には
その支援は届かない。

国民の9割が1日2ドル以下で暮らす世界最貧国の一つ。
山間部の村には、電気もガスも水道もない。
だが、携帯電話は普及している。ソーラーパネルを利用した
「充電屋」だけは儲かっているようだ。

落合厚彦さんは、物資調達、施設・機材・車両管理など
幅広い業務を担当するフィールド・ロジスティシャンとして
昨年6月から約半年間、中央アフリカに派遣されていた。
日本では20年ほどラジオ番組の制作をしていたが、
08年からMSFの活動に参加、マラウィ、ナイジェリア、
ジンバブエ、スーダンなど、アフリカを中心に8回の派遣歴を持つ。

落合さんが中央アフリカで活動していた病院はカーノという町の
基幹病院でベッド数は100ほど。一番のミッションは
高い乳幼児死亡率への対策で、MSFは診療だけでなく、
病院を現地の人だけで運営できるようにサポート体制の
確立も目指す。またHIVやアフリカ大陸に多い睡眠病の
ケアも大切な仕事だ。

落合さんの仕事は幅広い。物資調達といっても、現地では
なかなか手に入らないものが多い。本部へ連絡して空輸して
もらえば簡単だが、それではコストがかかりすぎる。時には
必要物資を調達するため、遠くまで出掛けたり、その物資が
あったとしてもすぐには購入せず複数購入先が見つかれば
必ず相見積もりを取って、安いほうを買う。

車両管理から飛行機の手配、水の確保まで行う

「MSFにはマニュアルがあって、効率的に業務を行うだけでなく、
何にどれだけおカネを使ったかを説明する責任がある。
寄付金は大切に使わなければならない。
その透明性も求められている」(落合さん)

また、車両管理といっても、車の台数だけでなく、ドライバーの
確保、さらには倉庫係や無線係といった現地スタッフの確保も
仕事の一つだ。時には、レントゲン設備のある大きな病院へ

患者を移送したり、飛行機の手配をしたりしなければならない
こともある。中でも安全な水の確保は、医療活動をするうえでも
重要だ。フランスの物流センターからは5000リットルの
タンクやホースのセットが送られてくる。水を入れ、浄化して使う。

困ったのは言葉だった。英語以外にフランス語も勉強して
いたので、ある程度の会話はできるが、現地のフランス語は
フランス人にもわからないときがある。現地スタッフとの
コミュニケーションには苦労した。病院では電気を私用に
使う現地スタッフが多くて困ったという。
「自家発電しているが、現地スタッフはコンセントが空いていると、
すぐに自分の携帯電話の充電に使う。
やめろ、ともなかなか言えない」(同)。多くの乳幼児が
亡くなっている現実の一方で、その施設内では貴重な
電気がこんなことに使われているのだ。

中央アフリカの内戦はいまだに続いている。
政府はこうした医療体制の整備について何もしない。
政府関係者の間では汚職が横行している。

大地震から2年半不衛生で劣悪な環境

カリブ海に浮かぶ島国、ハイチ。10年にマグニチュード7・0の
大地震が発生し、首都ポルトープランスを中心に甚大な
被害を受けた。追い打ちをかけたのがコレラの大流行だった。
MSFはすぐに現地入りし、全国50カ所の施設で活動。
およそ17万人のコレラ患者を治療してきた。
しかし、13年になっても、いまだコレラは収束する
兆しがなく、MSFの支援は続いている。

看護師の京寛(きょうかん)美智子さんは、05年から
MSFに参加、これまでシエラレオネ、ナイジェリア、
南スーダンなどアフリカを中心に8回の派遣歴を持つ。

総派遣期間は45カ月に上る。

京寛さんがハイチに派遣されたのは、10年11月末から
翌年2月までの約3カ月間。京寛さんがいた医療施設は、
各20ベッドほど入る大きなテントが九つあり、外国人
スタッフは医師が3〜4人、看護師6〜7人、ロジスティシャン
5〜6人と多く、現地スタッフも約100人ほどいる大きな
施設だ。妊婦やHIV患者などもいたが、ほとんどは
コレラ患者だ。MSFの施設はコレラ専門施設が多かった。

京寛さんは「地震の後も復旧というには程遠い。
きれいな水の確保が難しく、街なかであっても排泄物などを
垂れ流しているというのが現状。自分たちの分も含め、
とにかく水の確保が重要だった」と振り返る。

最初の1カ月間、夜は外国人スタッフ数名と同じテントで
ごろ寝していた。水も自分たちで塩素消毒などして使い、
衛生状態は劣悪だった。幸いにも外国人スタッフから
はコレラに感染した人は出なかった。勤務時間は
朝6時から夕方6時までだが、夜間の救急患者などは
現地スタッフには任せられないので、
「まさに24時間体制だった」(京寛さん)。

京寛さんが怒りに震えたことがあった。それは、ハイチの
大統領選(10年11月)のときだ。コレラが大流行している
最中に選挙が行われ、それに伴い一時は内乱状態になり、
道路が遮断されたり交通障害も起こった。市民も医者も
病院に行きたくても行けない事態となったからだ。

もともと水道などインフラは整備されていなかった。
2年以上もコレラの流行が収束しなかったのは、
大地震だけのせいではないのだ。

この3カ国は、MSFが援助活動を行っているアフリカ、
中南米、中東など約60カ国のほんの一部にすぎない。

個人の寄付が援助活動を支える

国境なき医師団憲章には「苦境にある人びと、天災、人災、
武力紛争の被災者に対し差別することなく援助を提供する」と
書かれている。その活動資金は個人が支える。
残念なことに、この地球上にはMSFの援助を必要とする
国や人々はまだまだたくさんいる。



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(週刊東洋経済2013年2月9日号)



コメントです。
「国境なき医師団」の話題です。
よく耳にするキーワードですが、
実際の活動内容と現状についての
くわしい記事があったので掲載しました。

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posted by salsaseoul at 10:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 医療
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