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2013年05月09日

もやしの種、自立の芽に ビジネス通じ途上国支援、日本でも

もやしの種、自立の芽に ビジネス通じ途上国支援、日本でも
朝日新聞デジタル・ヘッドライン 2013年5月8日

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収穫されたもやしの種を手にする村人たち。品質も水準に達し、
日本へ輸出された=バングラデシュ西部

発展途上国の貧困層をビジネスを通じて支える仕組みが、
日本企業の間でも広まっている。一方的な援助ではなく、
互いに利益のある形を模索し、息の長い支援をめざす。

もやしの種(緑豆)から、バングラデシュの自立の芽を育てたい。
そんな願いを込めたもやしが、まもなく日本の食卓にのぼる。
商品名は「もやしのきずな」。現地で収穫した緑豆を日本で育てた。

■現地で緑豆生産
発売するのは、キノコ生産で有名な雪国まいたけ
(新潟県南魚沼市)だ。
2011年、現地で貧困層を支える事業を展開する
グラミングループなどと合弁会社を設立。日本からは
栽培技術を、グラミンからは農家指導や融資のノウハウを
合弁会社に提供し、緑豆生産に取り組んできた。

「以前は何を作っても仲買人に買いたたかれ、利益が出なかった。
作業も楽になったよ」と、現地で生産に取り組むムラド・マリサさん(45)。

世界銀行によると、同国の11年の1人あたり国民総所得は
780ドルで月1万円に満たない。ムラドさんは米や野菜を
作っているが、ニンジンやジャガイモの買い取り価格は
1キロ5〜10円ほどだ。一方、肥料や農薬など決められた栽培
方法を守った緑豆は合弁会社が10倍程度の値段で買い取る。

「正当な価格で買い取ることで、農民の自立につなげたい」と、
雪国まいたけの上席執行役員、佐竹右行(ゆうこう)さん(57)は話す。

出発点は金融業界での経験が長い佐竹さんの個人的な思いだ。
リーマン・ショックを目の当たりにして、金融のあり方に限界を
感じた。貧困層に無担保で融資する「非常識」な仕組みが
成功している理由を知りたいと、10年1月にグラミングループの
現場を見るツアーに参加。同じような事業をできないか、と考えた。

目を付けたのが、自社で生産していたもやし。「安くておいしい」と
重宝される食材だが、緑豆の大半は中国から輸入している。
レアメタルのような大幅な値上がりに備え、種の仕入れ先を
分散し、リスクを回避する狙いもあった。

同年6月、グラミン銀行の創始者でノーベル平和賞受賞者の
ムハマド・ユヌスさんと対面し、計画を説明。
「ぜひやってほしい」と後押しを受け、事業化は一気に進んだ。

■昨年は8000人参加

当初は100人ほどで始まった。畑に種をばらまく栽培方法を
改め、うねを作って植えるよう指導し、収穫量も上がった。
「成功例」を目にして賛同が広がり、昨年は国内各地で8千人が
参加、1500トンを超える収穫があった。
中国産を購入するよりは、安く抑えられているという。

輸入した緑豆は現在、もやしとして商品化するため、新潟県の
工場で試験栽培中だ。もやしはスーパーなどで特売の
目玉商品にされることが多く、利益が出にくい。
それに「支援につながる」という付加価値を付けたいという
思いもある。「双方に利点があり、ビジネスとして成立して
こそ、続けられる」と佐竹さんは力説する。

■利益追求・生活向上を両立

こうした活動は「BOP(ベース・オブ・ピラミッド=低所得層)
ビジネス」とも呼ばれ、欧米を中心に広がってきた。

途上国の働き手を「安い労働力」とみるのではなく、労働環境を
整えて正当な対価を支払い、企業の利益追求と現地の
生活向上の両立をめざす取り組みだ。

日本でも、経済産業省がBOPビジネス支援センターを10年に
設立。事例の紹介など後押しを始めた。

衣料品ブランド「ユニクロ」を展開するファーストリテイリング
(山口市)は、11年にグラミングループと合弁会社を設立。
バングラデシュで服の生産や販売の事業を始めた。

06年に設立された「マザーハウス」(東京都台東区)は
バングラデシュやネパールで、バッグなどを生産。
日本の市場でも勝負できるよう、デザイン性が高
く、良質なバッグ作りをめざしている。同社幹部は材料を
求めて暴動の中を駆け回ったり、現地の人と激しく
議論したり、曲折もあったが、日本や台湾に15店舗を構え、
年間5万個を販売する。バングラデシュの自社工場では
100人を雇うまでに成長した。

山崎大祐副社長(32)は「社会貢献を考える時、お金を
どう使って支援するかに目が行きがちだが、続けるために
大切なのは、お金をどう生み出すか。商品の競争力を高め、
ビジネスとして上をめざしたい」と話す。

(仲村和代)

■BOPビジネスの事例

・インドで少量の小袋に分けた洗剤やシャンプーを農村女性が
戸別販売。女性の自立を支援(ユニリーバ)

・アフリカでマラリア予防の殺虫剤を練り込んだ蚊帳を供給。
現地の雇用創出にも貢献(住友化学)

・アフリカで農業用ポンプを使った農法を普及。
生産性の向上やコスト削減に寄与(ヤマハ発動機)

・バングラデシュ、アフリカなどで水質浄化剤を使い、安全な
飲み水を普及。現地の女性が販売も担う(日本ポリグル)

 
 

関連記事です。
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 ケシ畑をソバ畑に−。ミャンマーでそんな取り組みが
続いている。麻薬撲滅、貧困対策の一環として始まり、
今では年間200トンを生産する産業に成長した。
現場で指導に当たったのは北九州市八幡東区出身の
吉田実さん(45)だ。 (バンコク進藤卓也)
「自分の専門知識が生かせるのはうれしい半面、熱帯の
イメージがあるミャンマーでソバができるのか。
ケシ撲滅をソバでできるのか。不安を抱えたスタートでした」と
吉田さんは振り返る。
吉田さんは信州大学農学部・大学院を卒業したソバの研究者。
1999年、大学の恩師・氏原暉男(あきお)氏から「ケシ撲滅の
ためにソバを植える仕事をしないか」と誘われ、国際協力機構
(JICA)の専門家としてミャンマー北東部、北シャン州
コーカン特別自治区に赴いた。
複数の少数民族が住み、150年以上もアヘンの原料となる
ケシの栽培が続く同区。着任当時、ミャンマーで生産された
約900トンのアヘンのうち、9割がこの地区に集中していた。
同区は89年、「ケシ栽培をやめたら代わりに支援を与える」
とのミャンマー政府との交換条件を受けて、ケシ栽培の撲滅を
目指すと宣言。代替作物に注目されたのがソバだった。
しかし、吉田さんに対する農民の反応は複雑だった。
「ソバをもってきてくれてありがたい」と歓迎の一方で、
ケシほど儲からないなら作らない」と冷めた声も多かった。
試算ではケシ栽培は約90日の労働で収入は225ドル
(約1万8千円)。ソバではその5分の1程度しかない。
吉田さんは根気強く説いて回る。栽培技術が容易なこと。
手間とリスクの少ない現金収入であること。それでも農民の
やる気は上がらず、「ケシが現に存在する中での
代替
作物導入の難しさ」を痛感した。
意識が変わったのは2003年。同区がケシ栽培の撲滅
達成を宣言し、違反者には厳しい処罰を科したことだ。
「農民たちがワラをもすがる思いで『ソバを栽培したい』と
言ってきた。こちらの指導にも真剣に耳を傾けるようになった。
やっと代替作物として認めてもらえたと思いました」
課題もあった。他の代替作物がないため不適地でもソバが
栽培された。嫌々向き合っていたり不慣れなために、品質は
まちまち。懐に入れて運べたアヘンに比べ、へき地山間部
からの輸送の問題も。夜間、国籍不明機が飛来してケシ
種を空中散布する妨害にも遭った。品質不均一のため約束の
全量買い取りを断られ販路を断たれたときは、
「もうダメか…」と弱気に襲われたこともある。
今、栽培面積は約千ヘクタール。収穫の半分、約90トンは
日本に送られ、「ミャンマーソバ」の趣旨に賛同する長野県の
そば屋などが購入する。
ミャンマーではクッキーや焼酎などにも加工している。
「アジアの片隅で育ったソバは、いろんな方の情熱と努力の
結晶です。今後は単収を上げ収量を安定させる。ソバをもっと
収益の上がる作物にしていきたい」。吉田さんは謙虚に語った。
=2011/07/18付 西日本新聞朝刊=


コメントです。
途上国向けの自立支援目的によ産業育成の話題です。
単一企業が、自社の営業活動の一連として育成補助活動を
している点が少し気になりますが、それでも、やはり採算を
あげないことには長期支援は不可能なので、営業収支は
不可欠ですね。
いずれにしても、双方の利害関係が一致して特に第三者に
弊害や摩擦を引き起こさないうえで、息の長い支援が可能に
なればいいですね。



posted by salsaseoul at 08:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 南アジア・インド周辺国
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