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2012年06月29日

ハンセン病療養所に保育園開園 多磨全生園、全国2例目

ハンセン病療養所に保育園開園 多磨全生園、全国2例目
朝日新聞 2012年6月28日
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国立ハンセン病療養所の多磨全生園内に開園する花さき保育園。
ここに通うことになる子どもたちが見学に来ていた
1日、東京都東村山市、竹谷俊之撮影

東京都東村山市の国立ハンセン病療養所「多磨全生園
(たまぜんしょうえん)」の中に、7月1日、保育園が開園する。
国に断種や堕胎を強制され、子どもを産み育てることを
許されなかった入所者
にとって、日常的に子どもたちと
ふれあうことは念願だった。

療養所内の保育園は、今年2月に熊本県合志市の菊池恵楓
(けいふう)園に開園した「かえでの森こども園」に次いで2カ所目。
認可保育所ができるのは全国で初めてだ。

全生園の敷地の一角を整地し、社会福祉法人が運営する
「花さき保育園」が市内の別の場所から移転してくる。

2009年施行のハンセン病問題基本法は国の隔離政策が
元患者に身体的・社会的被害を与えたとして、療養所の施設や
土地を開放し、地域で利用できる規定を盛り込んだ。
民間への土地の貸し出しも可能になり、全生園と東村山市が
保育園の設置を進めてきた。

全生園入所者自治会の佐川修会長(81)は「首を長くして
待っていた」。全生園は1909年開設。約1500人いた
入所者は約260人に減り、平均年齢は83歳だ。
「20年後にはほとんどが亡くなり、全生園も『終焉(しゅうえん)の時』を
迎える。子どもの声を聞き、自分に子どもがいたらと思いを
はせながら過ごせるのはうれしい」と話す。

 「結婚し、主婦にはなれても、子どもを持つことだけはできなかった」。
山内きみ江さん(78)も園児との交流を待ち望む。右手の指を
失うなど体が不自由。夫の死後は療養所内で暮らす。
一昨年、養女が出産したが、孫のそばにいて、成長の
過程を肌で感じることは難しい。

保育園ができて、「おばあちゃん」になれることを楽しみにしている。
「子どもと話したり、遊んだりすれば、少しは役割ができた気がする。
患者として生きてきた意味もあるのかな」

保育園には、入所者が自由に行き来できる中庭があり、
ベンチも用意された。森田紅園長は「散歩に来た入所者の方に
子供が集まって、自然に交流が生まれれば」と期待する。
「隔離政策が間違いだと分かっていても、全生園への特別な
感情は残っていると思う。保育園を通して全生園の歴史が
注目され、ここを巣立った子どもが自ら発信する役割を自然と
担ってくれるようになれば」という。(北沢拓也)

関連記事です。

多磨全生園内に開設される保育所報道にだまされてはいけない

Q 何が間違っていたの?
A 国が行った強制隔離政策です。

放浪するらい患者(浮浪患者)の存在が、欧米人の目に
触れることを国辱(国の恥)と考え、1907(明治40年)、
法律「癩予防二関スル件」の制定によってその一掃を図りました。
この法律の下では、実際に強制隔離されたのは患者全体の
一割にも満たない浮浪患者だけでした。1931(昭和6)年
制定の「癩予防法」では、「民族浄化無癩日本」を旗印に、
すべての患者を根こそぎ、療養所に収容し、強制隔離して
新たな患者を「終生隔離(一生、療養所に隔離すること)、
患者撲滅政策(社会から患者をなくすこと)を展開していきました。
各県の衛生担当者と警察は患者を探し出し、療養所に
送り込みました(無らい県運動)。こうしてハンセン病患者は、
危険人物というレッテルを貼られ、家族を含めて地域から
はひどい差別にあいました。
1953(昭和28)年には、既にハンセン病の治療法も
確立しつつあったことを国側は知りながら、強制隔離政策を
永続・固定化する「らい予防法」を、患者の猛反対を押し切って
制定しました。これらの法律には、退所(療養所を出る)の
規定がないこともあり、病気が治ったとしても、社会(故郷)に
戻れる人は、ほとんどいませんでした。
これにより、多くの患者は色々な人権侵害を受けてきました。
療養所長には懲戒検束権(大正5年に定められ、療養所長に、
7日以内常養食、《いつも食べている食事の量》を2分の1まで
減食、30日以内の監禁《閉じ込める》などの懲戒又は検束の
権限が与えられていました)が与えられ、患者はそれにより、
反抗的な態度をとる等、まったく些細なことで監房
(悪いことをした人を入れる部屋)に入れられるなど、24時間
体制で監視され、その中で労働などの作業を強制されました。
中にはそれによって亡くなった人もいました。
逃亡防止(逃げないようにする)のための特別病棟(重監房)の
設置や園内通用券(療養所では、入所者が逃亡を防止するため、
お金の代わりにその療養所の中でしか使うことの出来ない金券)の
発行も行われていました。
特別病室(重監房)とは、国立ハンセン病
療養所栗生楽泉園(群馬県)設置されたハンセン病患者のための
監禁施設です。1938(昭和13)年から1947年の9年間に
わたって運用されてきました。
特別病室には全国から患者が送られ、冬はマイナス16〜17度と
いう環境の下、電灯も暖房もない暗い部屋で、一日梅干し一個と飯、
布団2枚という状況で、医師による医療行為も行われなかったため、
多数の人たちが亡くなって行きました。
「特別病室収容簿抜き書き」によると、その9年間の内に、
全国
から93名のハンセン病患者が収監され、このうち、
監房内で死亡した者(獄死者)が14名、監禁中に衰弱して
出所後に死亡した者(出所後死亡者)が8名に達しました。
また、監禁日数は長期に及び、全収監者の平均で131日。
500日以上という例もありました。
このように施設の性格は「病室」ではなく「監禁・懲罰」目的に
作られた施設であることは明確でした。
また、園内で結婚する場合は、療養所内において断種
(子どもができなくなる手術)や堕胎(お腹の子どもを殺してしまうこと)を
行うことが条件とされました。
(断種手術は1992年(平成4年)迄行われていました)
ハンセン病の原因である“らい菌”の感染力は弱く、かつ、
仮に感染しても発病することは極めてまれな病気です。
しかし、ハンセン病は、恐ろしい伝染病であるという誤解から、
ハンセン病にかかった人々は、このように長い間、
人権を侵害されてきたのです。
<終了>

筆者は、佐川さんや、全療協で働く知人に対して尋ねました。
「1983年に開業した東京ディズニーランドを訪問する計画や、
ミッキー、ミニーたちの慰問は一度もなかったのですか」と。
答えは「一度も考えませんでした」
東京ディズニーランドは、オープン以来一貫して「障害をお持ちの
ゲストも健常者も、まったく同じゲストであり、料金割引などの
差別対応をすることはない」というポリシーを維持し続けてきました。
最初の数年は「なぜ、割引をしない」と主張するグループと
、「どんな障がい者にも、暖かく接する東京ディズニーランドが好き」と
いうグループに分かれましたが、次第に「東京ディズニーランドは、
別世界」という評判により、日本中で現在でも行われている
「障がい者への差別」は東京ディズニーランドでは通用しない、
という風潮になっていったのです。
筆者は、多磨全生園のある東村山市に1986年から住んでいました。
ハンセン病問題の深刻さを知ったのは、筆者が同様に、
人権侵害を被った後の2009年秋のことです。
筆者は、自身の無知と無関心さを痛く恥じました。
もし、1986年にハンセン病の問題に気付いていれば、筆者は
間違いなく多磨全生園を訪れ、東京ディズニーランドへの来園を
促したでしょう。実情を知った東京ディズニーランドは、
つまり筆者たちパーク運営の責任者たちは、出来ることを
惜しみなくして差し上げたことでしょう。
東京ディズニーランドには、「難病の子の夢を叶える」などと
宣伝しながら、売名慈善団体が特別対応を求めて連絡して
きますが、特別対応はおこないません。しかしながら、ハンセン病
患者の集団という「世間から白い目でみられている」特別な団体に
関しては、「これがディズニーだ」というほどに親切に対応します。
悔しくてなりません。当時の厚生省の謀略、人目にさらさない
政策を逆手にとり、「東京ディズニーランドはハンセン病患者を
喜んで受け入れている」というメッセージを日本中に
発信できていれば、東京ディズニーランド開業とともに、
ハンセン病患者差別問題はなくなっていたはずです。
知りませんでした。知っていれば世界中のディズニーの仲間たちと
ともに、ハンセン病差別問題と戦いました。
そして、勝利を得ることができたものと確信します。
そうすれば、1992年まで続いた断種手術など、まさに
「アウシュビッツ」以上の虐待は行われなくなっていたはずです。
確か2003年頃でした。熊本県の黒髪温泉を訪れた元ハンセン病
患者一行が、宿泊を断られた事件がありました。
結局、ホテルは閉館することになりましたが、テレビで元患者たちが
激しく抗議する姿をみた市民から、「ハンセン病患者は何様だと
思っている。国からカネをもらっていきているのだから大きな
顔をするな、宿泊拒否は当然だ」というような誹謗中傷の
手紙
が、元ハンセン病患者のもとに多数届きました。
その手紙集は、多磨全生園の国立ハンセン病資料館内の
図書
室に、隠すように置かれていますが、恐らくそれを目に
する人は、一年に数十人だと勘案されます。
その国立ハンセン病資料館は、1996年に菅直人厚生大臣が
訪問した時の資料館ではなくなり、まさに「日本にはハンセン病に
関する失政は存在しなかった」という展示内容に変わって
しまっています。詳しくは、ハンセン病市民学会の年報の
特集記事「リニューアル資料館を考える(シンポジウム記録)」に
厚生労働省の「悪だくみ」が書かれています。

<引用開始>
国のお金をつかって国の過ちを認めて資料館をつくることは、
日本の国においては画期的な出来事あって、ハンセン病だから
というよりは、この国が過去の反省をするということに、私は
注目していました。どんな資料館になるか楽しみにしていました。
去年、新館に足を運んでみて、驚きました。
何を言いたいのか分からない資料館になってしまって、
悪夢を見ているような腹立たしい気持ちになりました。
何がいけないのか。なんでこんな気持ちにならなければ
いけないのか。私なりに整理してみました。
まず最初に「古くから差別されてきたハンセン病とはこんな病気です」と
ものすごく大きな字で、最初のパネルにでてきます。
これは番組でいうと、タイトルみたいなもので、人に印象を与えるパネルです。
<終了>藪本雅子 元日本テレビアナウンサー談
さすがに「伝える側の技術」である記号論を習得しているパネラーらしく、
かなり良い所に着眼しています。
筆者は何十回もこの資料館を訪れています。そして、類推して
「誰が何の目的でリニューアルしたのか」という命題の結論を得ました。
結論は、「私たち厚生労働省は、世界に類を見ないほどの人間虐待行為を
つい最近まで行ってきました。どうか、私たちの犯した犯罪を
罰して下さい。私たちは過去を悔い改め、薬害エイズ事件後に
生まれ変わった厚生労働省として、新しい厚生労働行政を
行っていくことを約束し、実行に移します。」
これをひっくり返しに読むと、「誰が何のためにリニューアル
したのか」が分かります。
「私たち厚生労働省は、世界に類を見ないほどの人間虐待行為を
つい最近まで行ってきませんでした。どうか、私たちの犯していない
犯罪を罰しないで下さい。私たちは過去を悔い改めません。
薬害エイズ事件後に生まれ変わらなかった厚生労働省として、
明治以来の連続性を維持する厚生労働行政を行っていくこと
を約束し、実行に移します。」
「厚生労働省は当事者ではない、第三者であり間違ったことをしない」と
いう「神話」つまり作り話を推理しながら、館内の展示物を見て回ると
楽しくて仕方ありません。なぜなら、元ハンセン病患者の方々の
ために、厚生労働省をやっつけることができる、と思えてくるからです。
展示物はすべて「記号」です。記号とは、脳の情報処理を
強制コントロールする「アイコン」のようなものです。
見える形になったコンピュータ上で単純化された「アイコン」には、
それをクリック、つまり選択して受け入れると、必ず同じに
作動する仕掛けがかくされています。「アイコン」がなかった、
ビフォアウインドウズ時代には、コンピュータにいちいち
「呪文」を打ち込まなくてはなりませんでした。
(複雑でしたが他者にはできない達成感があって面白い時代でした)
このように、「記号」には、隠された「呪文」という、命令が自動的に
含まれます。藪本氏が指摘した「人に印象をあたえるパネル」と
いうのは、パネルという「記号」を受け取ったものは、
「記号」を発信した人間、つまりパネルを作った人間の
言いなりになりなさい、と脳に対して命令してくるのです。
日本人は、「厚生労働省がつくったパネルだから」
「有名人の発言だから」と、目や耳から受け取る「記号」を、何も
疑うこともなく、そのまま丸飲みするようにつくり上げられています。
まさに「神話」の世界に生きているのです。
ハンセン病資料館は、厚生労働省に都合がいい「記号」で
溢れかえり、都合が悪い「展示物」は、「すべて削除」と言っても
過言ではありません。
特にひどいのは、「外国人キリスト教徒の貢献隠し」ですが、
長くなりますので後日に記します。
佐川さんや入居者の方々には、子どもたちの元気な声が
聞こえるという錯覚を与える報道ぶりにはあきれます。
多磨全生園内を歩いても、人の姿は見かけられません。
来月開園する保育園も南東の角地にあり、自動車による
騒音が一番ひどい所です。
そもそもです。多磨全生園内にはもともと保育園がありました。
入口を入り、すぐ右に曲がってすぐのところです。認証保育園では
ありませんが、もちろん入居者との交流もありません。
この度できた保育所は東村山市の社会福祉法人が経営して
いるそうですが、長い目で見ていかないと「厚生労働省」の
思い通りになり、入居者との交流などすぐに打ち切られる
可能性もあります。まさに「シメシメ」の世界です。
ハンセン病の問題に関しても「クリスチャンの私でなくては
できないこと」があります。決して追求の手を緩めません。


コメントです。
ハンセン病療養所に保育園開園についての
話題ですが、実際の現状や、それらの
バックグラウンドに関して、詳しい方の記事を
引用させていただきました。

posted by salsaseoul at 22:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本・社会
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