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2011年06月22日

イラクの村、放射能汚染の影 8年経てがん相次ぐ

イラクの村、放射能汚染の影 8年経てがん相次ぐ
朝日新聞 2011年6月20日3時0分
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白血病で客間に寝ているファデルさんと母親のトルキヤさん=アルワルディエ村、川上写す
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散乱する「イエローケーキ」が入っていたドラム缶=2003年5月、イラク・ザファラニヤ
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イラクの首都バグダッド郊外にあるアルワルディエ村を訪れた。
2003年4月、イラク戦争による混乱の中、近くの核施設から村民が
放射性物質が入った容器を持ち出して貯水タンクなどとして使った。
8年を経て、住民たちは「がんが増えている」と訴え、現地の医師は
早急な調査と対応が必要と警告する。

バグダッド中心部から南に向かう幹線道路を車で約30分、道路の
右手に広大な無人地帯が現れる。ツワイサ原子力研究センターだ。
村はセンターの南東にある。数軒の商店が並ぶ中心部をのぞけば、
耕地と農家が点在する人口1800人の農村である。

センターの外壁から50メートルと離れていないマギド家では、
客間でやせた少年が布団に横たわっていた。ファデルさん(15)で、
昨年4月、バグダッドの病院で白血病と診断された。

母親トルキヤさん(52)が「私は一日中、息子のそばで座っています。
息子に『この薬でいつまで生きていられるのか』と
聞かれるのがつらい」と語る。

さらに奥の部屋に昨年10月に乳がんを手術した
長女バイダさん(30)がいた。がんはすぐに再発。2カ月後、
手術が難しい背骨に腫瘍(しゅよう)が見つかり、放射線治療を受け、
現在自宅にいる。バイダさんは全身を覆う黒いアバヤを着て
壁にもたれていた。娘と息子が寄り添う。手術をした医師は
バイダさんがセンター近くの村の住民だと知ると、
「放射能の影響だ」と言ったという。
イラク戦争でフセイン政権が崩壊(ほうかい)した時、センターを
警護していたイラク軍は姿を消した。アルワルディエ村など
周辺町村の住民たちが敷地に入り、家具や電気製品を略奪した。
「イエローケーキ」と呼ばれる放射性物質を保管するタンクも
持ち出した。当時、水道は頻繁(ひんぱん)に断水し、水をためる
タンクが必要だった。住民は入っていたイエローケーキを捨てて、
貯水用に使った。2~3か月後に米軍がタンクを回収しようとしたが、
処罰を恐れて応じなかった住民もいた。その後、国連が全戸に
新しいタンクを配布し、センターから持ち出したタンクは回収された。
住民たちの証言によると、2003年半ばに米軍の医師が測定器を
持って各戸を訪問したという。家具や家畜などにも測定器を当て、
「このアヒルは食べるな」と通訳を介して指示された村人もいる。
その後、村に4台のバスが来て、村人100人以上を乗せて、
近くのマダイン病院で採血したという。米軍か国連による人体への
放射能の影響調査とみられるが、結果は発表されていない。
その後、住民に対する健康診断は一度も実施されていない。
病院の検査に参加したムハンマド・カラムさん(20歳)は医者から
「5年から10年後に健康に異変が出るかもしれない」と言われたという。
家ではタンク3基をセンターから持ち出して使っていた。
ムハンマドさんの父カラムさんは3年後の2006年から血尿が
出るようになり、膀胱(ぼうこう)がんと診断された。手術をしたが、
昨年11月に死亡した。イラク戦争後、2人の兄弟とめいの3人を
がんで亡くし、今、妻が乳がんで苦しむサルマン・フメイドさん(59歳)
一家はタンクを使っていなかった。「水道も汚染されたんだ」と訴えた。
「ツワイサ原子力研究センター」・旧フセイン政権の核開発中核施設。
1981年にイスラエル軍が空爆したオシラク原子炉もここにあった。
1991年の湾岸戦争後には国連と国際原子力機関(IAEA)に
よる大量破壊兵器解体のための主要な査察対象となった。
ツワイサでは原爆製造を目的にウラン高濃縮技術の研究を
続けていたとされる。天然ウラン鉱石を精錬して作る
酸化ウランの粉末「イエローケーキ」も、このセンターの倉庫に
貯蔵されていた。純度など詳細は不明。 
イラクの首都バグダッド郊外にあるアルワルディエ村。2003年4月、
イラク戦争の混乱の中、近くの各施設から村民が放射性物質が
入った容器を持ち出して貯水タンクなどとして使った。
それから8年を経て、村民にがんが多発している。
サルマン・フメイドさんの妻ハナーさん(52歳)は、2005年から
左の乳首から出血するなどの異変があり、医者に行ったところ、
「乳がんの可能性がある」と言われた。しかし、バグダッドの
放射線病院で明確に乳がんと診断されたのは2年後だった。
医師からは「すでにがんは乳房の半分に達している。
一刻も早く手術が必要」と言われた。手術は翌日行われ、
左乳房を全摘出した。
サルマンさんは「放射能の影響に違いない」という。
アルワルディエ村はツワイサ原子力研究センターの略奪の際、

出入り口になった。(=川上泰徳朝日新聞中東駐在編集委員)
放射性物質のイエローケーキが入った容器を持ち出した人々は、
施設の敷地から出たところにある村の水路に中身を捨てた。
ところが、村に水を供給する地中の水道管が水路のところで
地上に露出している。「水道管はしばしばすき間ができたり、
壊れたりする。そのたびに、水路に捨てられた放射性物質が水道に
入っていく。水道は汚染されているはずだ」とサルマンさんは語る。

サルマンさんは6人の兄弟がいる。2003年末に2歳年下の弟が
胃がんで死亡し、2004年に6歳下の弟の17歳の娘が乳がんで死んだ。
2005年には5歳年上の兄が背骨と腎臓のがんで死亡した。
「私も背中が痛くなったりすると、これは兄と同じがんが進んで
いるのではないか、と恐ろしくなる」と語る。妻ハナーさんのがんが
判明した後、主治医から「それほど家族からがんが出ているなら」と
ミネラル水を飲むように忠告を受けた。
今は20リットル入りのミネラル水を買って飲んでいる。

村では若者が、がんになる例が増えたという。昨年3月、
咽頭(いんとう)がんで亡くなった写真家アラ・カードムさん(25歳)の
妻モハさん(30歳)もその一人だ。結婚からわずか1年半後だった。
アラさんが同じアルワルディエ村に住むモハさんと2008年3月に
婚約した時、食物を飲み込みにくいという症状が出ていた。
しかし、病院に行っても原因は分からなかった。
結婚2ヵ月半で、のどが閉じてしまい、咽頭がんだと診断された。
3度手術したが、手遅れだった。入退院を繰り返す生活だったが、
2009年秋、モハさんは妊娠した。しかし、2010年1月から抗がん剤の
治療を始め、流産した。泣くばかりの妻に、アラさんは
「早く良くなれば、またできる」と励ました。3月に自宅に戻り、9日後に
亡くなった。「あまりに急すぎて、2か月ほど何も考えられなかった」と
アラさんは振り返った。

アルワルディエ村で記者が会ったがん患者や、がんで家族を
失った人々は、いずれもツワイサ原子力研究センターから
数百メートルの距離に住んでいる。そんな狭い範囲で、これほどの
がん患者が出ていることには驚かざるを得ない。この村は
バグダッド州のマダイン郡に属する。郡の人口は33万人。
この村全体、さらには周辺の町村について、実態調査を
行って対策をとる必要があろう。

放射性物質の略奪は2003年4月に世界的なニュースとなった。
ところがそれ以降、国際社会からも国内でも忘れられた。
住民の集団検診も、がん予防の対策や生活指導も、
発生しているがんの医学調査も、何もなされていない。

住民は健康調査など様々な要求や請願を地元役所や国に
出したが、実現しなかった。
人々は「私たちは全く見捨てられている」と語る。
話を聞いただけでも、病状が悪化してバクダッドの専門病院に
行ったときには「手遅れ」と診断されるケースが多い。
「ミネラル水を飲め」というアドバイスさえ、がんが多発している
ことに気付いた医師が個人的に患者家族に伝えるという状態である。

対策が行われなかった理由はいくつかある。まず、イラク戦争後に
イラクを占領した米軍は、放射性物質の略奪による影響を警告した
国際原子力機関(IAEA)などの調査に協力的ではなかった。
次に2005年以降、テロが激化し、特に2006年~2007年は
イスラム教シーア派とスンニ派の抗争が始まった。
特にマダイン郡では国際テロ組織アルカイダ系組織の勢力が強く、
政府やNGOの立ち入りも困難だった。2008年以降、治安も安定に
向かい始めたが、昨年3月の総選挙後に政権発足に9カ月
かかるなど、政治の空点も要因になった。
センターを管理する科学技術省に各施設の問題で取材を
申し込んだが、「この問題では一切対応できない」という回答だった。

現地で治療に当たるルアイ・アブドルファッタフ医師(外科医)に
患者の状況を聞いた。

私は1995年以来、マダイン病院の外科医として、
ツワイサ原子力研究センターの周辺にあるアルワルディエ、
サルマンパク、ザファラニヤなどの地区から来るがん患者の
手術をしている。私が日々、扱っているだけでも、5年前ごろから
がん患者が増え始め、この2~3年は顕著な増加になっている。
肝がんや白血病のような特別ながんは、イラク戦争前は年に1件
扱うかどうかだった。今は毎週のようにある。悪性黒色腫のような
皮膚(ひふ)がんは10年間で1例ほどしか扱ったことがなかった。
しかし、この2~3年は毎月のように患者が出てくる。昔なら子供の
首にしこりがあったら結核性のリンパ節炎を疑った。今はまず悪性
リンパ腫を疑う。私だけでも月に2~3件の悪性リンパ腫を扱う。

乳がんに至っては悲惨な状況だ。以前は6カ月に1件程度だった。
この2年ほどは毎週2〜3件新しい患者が出ている。単に患者数の
増加だけでなく、低年齢化している。かっては乳がんは40歳以上が
ほとんどだったが、今では10代の少女ががんになっている。

がんが増加している背景には、イラク戦争での体制崩壊時に
起きた核汚染との関連が疑われる。しかし、戦後の混乱の中で、
放射能汚染と病気との関係を探る検証作業はなされてはいない。
早急に調査し、対応策をとる必要がある。


関連記事です。
イラク ツワイサ かつてのイラク原子力施設 
今やウラニウム汚染地帯
これは劣化ウランならぬ「天然ウラン(イエローケーキ)」
汚染事件です。
背筋の凍り付くニュースがイラクから送られてきました。
このニュースはフジテレビの深夜ニュースでも取り上げられ、
数分ですが映像も流れました。米軍兵士が手に持った
ガイガーカウンター(ガンマ線測定器)を持って、
記者を案内していたようですが、手元の計器は

「環境値の700倍に達した」とテロップが流れました。
何が起きたのか。
イラク最大の原子力施設のあるツワイサで、イエローケーキと
呼ばれる天然ウランの入ったドラム缶が多数略奪にあい、
大量のウラニウムが施設敷地内にぶちまけられ、あろうことか
住宅地域にも汚染が拡大しているというのです。
しかも、略奪者はウラニウムを盗みたかったのではなく、
それを入れていたドラム缶が欲しかったというのです。
従って中に入っていたイエローケーキは単なる邪魔者と
してあたり中に投げ捨てられたようです。
イエローケーキとは、鉱山から掘り出されたウラン鉱石を製錬
したもので、含まれる放射性物質は天然ウランだけではなく、
ラジウム、トリウム、ラドンと、ウラニウムの崩壊系列上に
存在する核種のいわば複合体です。中でもラドンはガス状の
物質ですので、長い間イエローケーキを貯蔵していた倉庫内部は、
相当高濃度のラドンガスが充満しているだろうと想像できます。
そこに略奪者は入り込んだようですから、相当の被曝を
受けたでしょう。
空気呼吸器もなくそういう施設に接近するのは極めて危険なの
ですが、報道関係者を案内していたと思われる米軍兵士もフジ
テレビの記者も防護服を着るどころか、マスクさえない無防備
状態で、ツワイサの核施設に接近し、イエローケーキが貯蔵
されていたと思われる倉庫の入り口付近に接近しています。
画面上では立ち入ってはいないようでした。ここでテレビに
映し出されたのは、わずかにすき間の空いた倉庫入り口に
うずたかく山になっているイエローケーキでした。 
この状態にあるにもかかわらず、米軍は何の手も打っている
様子はありません。
場面は移り、施設近郊の町、イエローケーキを詰めていたと
見られるドラム缶を家の庭先に置いて、水を入れていたという
家族に取材をしています。もうドラム缶はそこにはないのですが、
10歳にもならないと見られる子どもたちの全身に発疹が
起き始めています。おそらくウランの金属毒性に伴うもので
あろうと思われますが、子どもだけでなく大人にも発疹が広がって
いるのだそうです。極めて危険な状態であることは明らかです。
ツワイサの核施設には、既に腐食して穴が開き屋外に放置
されているドラム缶がありました。いくつあるのか見当もつかない
量ですが、おそらく以前から管理されている様子もないので、
放射性廃棄物を詰めているのではないかと思われます。
そうであれば、このまま放置したら土壌を汚染し、
地下水にまで達します。
このテレビ報道や朝日、共同のニュースを見ると、イラク軍が
管理していた段階まではこういった汚染事故は起きていない
ようです。しかし米軍の接近でイラク軍が逃亡し、誰も警備
しなくなったところに略奪が起きたという流れに見えます。
しかしこれは不自然です。 記事には「およそ千人の
核関連技術者が居た」はずです。小規模な略奪が発生したと
しても、これほど壊滅的な事態にはなりません。

つまり、米軍が最初にこの施設に突入したとき、警備システムや
施錠や壁や扉など、一般的に略奪から防護できる最低限の
設備を壊して最初に略奪したのであろうと想像できます。
その後、何の管理もせずに放置したため、武装した住民が
殺到しても手の打ちようがなかったと思われます。
これもまた米軍の犯罪の一端なのです。
この事件を別の見方をすると、こういうことも言えます。
ツワイサというのは、私も最初に知ったイラクの核開発施設
中枢地域です。1981年にイスラエルの爆撃により破壊された
原子炉だけでなく、その原子炉を動かすために必要な各種の
施設があり、核爆弾を作るとしたらこの施設群は中核地域になる
場所です。そんな「大量破壊兵器に一番近い場所」を米軍は
「放置した」のです。彼らにとって大量破壊兵器の捜索など
国際世論の批判をかわすためのポーズでしかないことは、
この一事をとってもあまりに明白ではないでしょうか。
イエローケーキは核爆弾の原料です。もちろん濃縮プラントが
なければ意味をなしませんが、それでも核兵器関連物質として
厳重に管理されなければならない物質であることは間違い
ありません。それを略奪され放題に放置していた米軍の姿勢は、
到底説明できるものではないはずです。そして、放射線被曝防止の
観点からも、この施設を無管理状態に放置した責任は
重大なのです。
最後に最も重大な問題を指摘します。イエローケーキも
劣化ウランも同様に危険な物質です。米軍は「劣化ウランに
危険はない」といったでたらめな公式見解を表明したことが、
現場でもこういったでたらめな対応につながった可能性が
あります。劣化ウランをばらまいた米軍は、それが安全であると
主張している手前、イエローケーキ(天然ウラン)の危険性を
末端の部隊にまで徹底できない(徹底しない)対策も取れない
(取らない)という結果になったのであろうと思われます。

結局起きたことは、ダグラス・ロッキー氏が語ったと同じ現象が
住民の間に広がることになります。すなわち、皮膚に発疹が
多く発生しているのです。今後予想されることは、肝臓や腎臓
などの多臓器不全、末梢神経麻痺、ぜんそく、呼吸困難などの
全身症状や呼吸器症状が発生することと、長期的にはガンの
多発が懸念されます。
すぐにすべきことは、施設内外に散乱しているイエローケーキや
持ち出されたドラム缶など汚染されたものを直ちに回収し、
汚染土壌を除去し、汚染のひどい場所に住む人々は住居を
移転し、健康診断を実施し、症状が出ている人々に適切な
医療を施すことです。これらはすべて占領軍が行う義務があります。
資金的な援助も必要です。現地の人々は、避難しようにも
ここしか生活基盤がありません。
劣化ウランだけでなく、こういう形で核の汚染が広まっている
ことを、わずかな報道で私たちは知ることができましたが、
現地の人々のほうが何も知らされないまま放置されています。
許されることではありません。



コメントです

あくまでもポジティブな意味ですが、東日本大震災に
よる福島原発事故が多種多様な分野で波紋を広げて
います。
そして、今日の記事は、イラク戦争後に起きた放射能汚染の
人為的二次被害についてですが、確かに戦争終了後は、
帰還兵や現地での新生児が「劣化ウラン弾」によって放射能
被害(健康被害)を受けているなどの内容報道が多かったです。
しかし、残念なことに、時間の経過と共に、国際社会では
イラクでの放射能汚染への関心や重要性が記憶から
薄れていって、そして忘れ去られていました。
ですが、今日の記事はある意味、福島原発事故がきっかけで
再注目されてようなもので、この事故は未だに収束のめどが

たっていないのにもかかわらず、これからもいろんな分野で
問題提起していくものと思われます。

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posted by salsaseoul at 00:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 中東
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