故郷よ再生を 脱サラ、豊島で無農薬レモン作り10年

収穫した実を抱える岡本満さん。一帯にレモンの香りが広がる
=香川県土庄町の豊島、野田写す

かつて国内最大級の産業廃棄物不法投棄に見舞われた
瀬戸内海の豊島(てしま)(香川県土庄町)で、脱サラして
故郷に戻った男性が無農薬のレモン作り を始めて10年を
迎えた。250本から始めた苗は3年目に初めて実がなり、
今や8千本に。「まろやかな味と香り」が次第に評判となり、
得意先も増えてき た。「ゴミの島」のイメージを一掃したいと
いう故郷再生の夢が実を結んできた。
豊島は小豆島の西約4キロにある面積約14平方キロの離島。
人口は約1千人でおもに農業や漁業などを営んでいる。
岡本満さん(61)は、小豆島の高校を卒業後大阪に移り住み、
食品流通会社に就職した。だが1980年代になると、産廃の
不法投棄が発覚し、新聞 やテレビで連日のように報じられた。
「花や緑に囲まれ、遊び回った故郷がなぜ」。惨状に嘆き、
いてもたってもいられなくなった。50歳を機にUターンを決めた。
「何もゴミの島でやらんでも」妻と2人の息子は猛反発したが
説得した。実家は米や麦を作る農家だった。無農薬レモンを
選んだのは、流通業を通じて需要の高さを感じていたからだ。
豊島で本格的にレモン栽培をするのは岡 本さんが初めてで、
ノウハウは本で勉強し、実家や知人の土地を借りて苗を植えた。
害虫被害や台風被害に見舞われ、初めて実がなったのは3年目。
持ち込んだ 店からも「あのゴミの島でしょ……」と難色を示された。
島の名前を伏せ「香川県産レモン」として店頭に置いてもらうのが
やっ とだった。だが、瀬戸内海の穏やかな気候で育てた
まろやかな味には自信があった。どんなに冷たくされてもめげず、
流通会社で知り合った食品関係者らを片っ端から訪ね歩き、
目に入るスーパーやデパートに飛び込みで持ち込んだ。
京阪神に近い立地条件の良さも追い風になり徐々に評判が
広がった。04年から「豊島レモン」と銘打ちレモンケーキなどを
販売する大阪府寝屋川市の洋 菓子店「ル・プティ・プランス」
社長、杉森弘和さん(57)は「正直、最初は敬遠した。
岡本さんと一面識もなかったが、すごい熱意だった。
実の品質は良 く、甘みがある。レシピの幅も広がり、無農薬
だから皮まで安心して使える」と話す。同店は岡本さんが
会社勤めの時に紅茶を飲みに立ち寄った店だ。
07年には大阪市北区に豊島レモンを売る店「檸・檬(れもん)」が
オープン。テレビ番組などを作る企画会社の代表らが
ドキュメンタリー制作で訪れ た豊島の美しさに感動し、
事務所1階に開いた。ホームページ「豊島檸檬通信」も
立ち上げ通信販売も行う。注文は年に約2千ケースに
達するという。店員の岩 根千明さん(26)は「不幸な歴史を
乗り越えて」と願う。
岡本さんのレモン畑は現在8ヘクタールに広がり、今年は台風も
なく豊作という。「風評被害はなかなか収まらない。もうけもないけど、
かけがえのない故郷だから、レモンにかけたい」(野田枝里子)
◇〈豊島の産業廃棄物不法投棄事件〉 香川県土庄町の豊島に
1980年代、島の産廃処理業者が廃材や廃油、ダイオキシンなどを
含む汚泥などを島西端 に不法投棄し土壌・水質汚染が深刻化。
投棄量は国内最大級の計約59万2千トンに及んだ。91年に
兵庫県警が廃棄物処理法違反容疑で逮捕した業者が有罪判決を
受けた。93年、地元住民らが香川県や業者を相手に公害調停を
申請し、00年に成立。県は産廃特措法に基づき03年に無害化
処理を開始した。完了まで に10年、総額約500億円かかると
見込まれ、7年目の今年は10月末現在で約51%を処理した。
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コメントです。
かっては産業廃棄物の不法投棄、そして、
それら違法行為を摘発・再生に向けて
全国で注目を集めた豊島(てしま)ですが、
実際はしばらくマスコミの話題から遠ざかっていました。
それを、このように一個人の方が再生に向けて
活動し、そして成果を上げている。
このことを嬉しく思いました。
明らかに暗い話題ばかりが目立つ現代。
ですが、この記事は本当に勇気づけられる報告ですね。
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