home003.gif

2015年01月15日

自動車学校に賠償命令 仙台地裁「津波予測できた」 教習生ら遺族へ計19億円

朝日新聞 2015年1月13日

20150114.jpg


東日本大震災の津波で犠牲になった宮城県山元町の常磐(じょうばん)
山元自動車学校の教習生25人と従業員1人の遺族が、学校側に
計約19億6700万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が13日、
仙台地裁であった。高宮健二裁判長は「学校は津波を予測できたのに
避難させる義務を怠った」として計約19億1千万円の支払いを命じた。

津波被害をめぐる訴訟で、管理者側の賠償責任が認められたのは、
宮城県石巻市の日和幼稚園で送迎バスに乗った園児が亡くなった
訴訟に続いて2件目。死亡した従業員への賠償命令は初めてとなる。

訴えていたのは18〜19歳だった教習生25人の遺族46人と、
アルバイト従業員の女性(当時27)の遺族2人。

訴訟では、学校側が津波を予測できたかが最大の争点になった。
学校側は「予測できなかった」と主張したが、判決は、消防車に
よる津波警報の発令と避難の呼びかけを「学校の職員らが聞いて

いたと推認される」とし、遅くともその時点で学校は津波の
襲来を予測できたと認定した。

そのうえで、教習生や従業員を守る義務がある学校が、速やかに
町の指定避難場所などに避難させたり、安全なルートで送り
届けたりすることを怠った、と指摘した。

学校側は「教習生は自ら避難することができた」とも主張して
いたが、「現場の地理に通じていない教習生は多く、送迎車
以外の手段で避難することはできなかった」と退けた。

判決によると、2011年3月11日午後2時46分の地震発生後、
学校は教習生に校舎外へ出るよう指示。その後、教習打ち切りを
決め、午後3時 40分ごろから送迎車で帰宅させたが、津波に
巻き込まれた5台のうち4台に乗っていた23人が死亡した。
教官の判断で路上教習から学校に戻り、徒歩で帰宅中だった
2人も亡くなった。従業員は校舎内で片付け作業をし、
津波にのまれた。  
(桑原紀彦)

 ■「喜んでいるはず」

あの日、何があったのか。真相を知りたいと提訴してから
約3年3カ月。元教習生の遺族らは13日午前10時過ぎ、
弁護士を先頭に、判決が言い渡される仙台地裁へと入った。

遺族会代表の寺島浩文さん(52)=福島県新地町=は、教習生
だった長男の佳祐さん(当時19)を失った。

「早く避難させていれば助かったはず」。自動車学校に対する
そんな思いから、原告の一人となった。

口を真一文字にして判決を聞いていた寺島さんは、法廷から出る
直前にようやく笑みをみせた。「原告団が団結して頑張っている姿を
見て、子どもたちも喜んでいるのでは」と話した。

アルバイト従業員だった大久保真希さん(当時27)の父、
三夫さん(62)は妻の恵子さん(57)と判決を聞いた。
訴えが認められたことを弁護士に確認すると、恵子さんは
三夫さんの左腕をつかみ、「よかったね」と声を絞り出し、涙を流した。

真希さんの遺影を手に会見した三夫さんは「娘には、いい判決を
いただいたと報告したい」と話した。学校側には「従業員や周囲の
人の命を第一に考えて、帰れという判断を下してほしかった」と
改めて訴えた。

 (辻隆徳、竹井周平)


コメントです

東日本大震災の訴訟関連記事です。



posted by salsaseoul at 00:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 東日本大震災
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/111937334
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック