■ホー・チ・ミンの詩でたたえられた「英雄的行為」
フエは北の手に落ち、市内では数日間にわたり
北ベトナム軍とベトコンの旗が掲げられた。
だが米海兵隊と南ベトナム軍の反撃により、こうした
拠点は徐々に奪還されていった。そして増え続ける
死傷者の数を背景に、それまでは主に前線から負傷兵士を
船で運ぶのが主な仕事だったフォン川隊も戦闘に
駆り出されることとなった。
隊の女性たちはマーケットや競技場の周辺に塹壕を設置し、
手投げ弾や自動小銃AK47(カラシニコフ、Kalashnikov)を
手に戦ったという。
グエンさんは、生き残りをかけた戦闘だったとしながら、
「ただ撃ち続けた。撃たなければ撃たれるので、ただ撃ち続けた」と
当時の状況を説明した。
グエンさんは戦場で枯れ葉剤を浴びた。
後に生まれた子どもには障害があったという。
フォン川隊の女性たちの努力は、終戦を待たず1969年に
死去した革命指導者ホー・チ・ミン氏の詩の中で認められた。
米兵の「骨を打ち砕いた」としてその行為をたたえた
この詩によって彼女らの英雄的行為は結晶化され、
今日においても祝福され続けている。
「その手紙を受け取ったとき、全員で泣きました」と
フォン川隊の別の女性兵士ホアン・ティ・ノさん(68)は、
フエの自宅でAFPに語った。
取材が行われた自宅の壁には「ホーおじさん」の写真が飾られていた。
この詩が届いたとき、隊の女性11人のうち4人がフエの
戦闘ですでに亡くなっていた。
その後さらに2人が戦死したが、5人は今も生きている。
ホアンさんとグエンさんが定期的に訪れるフエ郊外の
墓地には、亡くなった同志が埋葬されている。
50年前にはがれきの山だったフエは、
今や人気観光地となっている。
(c)AFP/Jenny VAUGHAN
コメントです。
現在、経済成長真っただ中のべトナムの話題です。
戦争を知る世代もどんどん交代していき、
ベトナム国内でも戦争体験が風化していく
危惧が叫ばれています。