縁が遠く思える農業とIT(情報技術)。
ただ、その相乗効果は温暖化や人口爆発が予想される
私たちの未来を救うかもしれない。
「コーンベルト」と呼ばれる米国の穀倉地帯。イリノイ州スプリング
フィールド近郊で、デイビッド・ムースさん(58)はトウモロコシと
大豆の生産に半世紀近く関わってきた。150年以上続く
農家の4代目に変化があったのは3年前。
タブレット端末に入れたアプリ「フィールド・ビュー」で
畑の管理を始めた。
ムースさんの農地は1400エーカー(5・6平方キロメートル)と広いが、
管理は楽になった。人工衛星が撮った農地の画像をネット
ワークでつないだコンピューターが分析。端末で結果を見られる。
作物の育ちが悪い場所が赤くなるので、地上からは
わかりにくかった「異常」がすぐわかる。
一帯に降った雨などの量をもとに作物の育ちが悪い土地に
窒素がどれほど残っているか推定してくれる。窒素は作物の
茎や葉を大きくするのに必要だ。土地に含まれた窒素が少ないと、
どの程度窒素肥料を足せばいいかも教えてくれる。
ムースさんは「フィールド・ビュー」のおかげで、お金がかかる
窒素肥料をまく量が減る一方、収穫を増やした。
「私にとっては、いかに畑の収穫量を増やせるかが至上命令だ。
最先端技術を生かせるのは非常に楽しい」と話す。
データを駆使し農作業に助言してくれる「精密農業」のシステムは、
米種子大手モンサント傘下のクライメート・コーポレーションが
提供している。モンサントは昨年12月、2021年までに農業からの
温室効果ガスの排出を増やさない仕組みを実現する構想を掲げた。
窒素肥料を減らす「フィールド・ビュー」はその構想のカギになる。
気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の調べでは、10年の
世界での温室効果ガス排出のうち、25%が農林業や土地利用
からの排出だった。モンサントは自社の技術を総動員し、
排出削減に取り組む考えだ。
特定の除草剤をまいても枯れない遺伝子組み換え作物を
育てれば、除草は薬剤をまけば終わる。除草目的で畑を耕す
必要がなくなり、地中に含まれたメタンガスなどの放出が減る。
収穫が増えれば、耕地を広げるため森林を伐採する必要もなくなる。
「農業が温室効果ガスの排出削減の解決策を握っている」。
同社のマイク・ロフイス農業環境戦略部長はそう話す。
■LED光で大量生産
1万年の歴史を持つ農耕。灌漑(かんがい)技術や農耕器具の
発達、農薬や化学肥料の登場で生産は爆発的に増えてきた。
だが、太陽光と水、土という根本条件を覆す大きな変化が
起きつつある。
米ニューヨークのマンハッタンから車で40分ほどの郊外
ニュージャージー州ニューアーク。発光ダイオード(LED)の
まばゆい光を浴びたミズナやケールが茂るのは、
農業ベンチャー・エアロファームズの植物工場だ。栽培棚は
垂直に積み重なっている。狭い場所で大量に生産できる
「垂直農法」。今月できる近隣の新本社は、年産約907トンの
能力を持つ世界最大級の植物工場になる。
生育に土も太陽光も使わない。照りつけるLED光の赤と青の
色の配分は7年かけて成長に最適化してきた。狙いは早く、
栄養豊富に成長させること。水や肥料も根に噴霧して済ませる。
殺虫剤使用はゼロだ。
収穫は最大年30回。生産性を引き上げる技術の核心は
機械学習だ。栽培棚には至る所にセンサーがあり、生育状況を
常に監視。収穫までに取る3万以上のデータをコンピューターが
分析し、さらに効率よく栽培できる条件を探り続ける。
「垂直農法は食料問題の解決に貢献できる」。
デイビッド・ローゼンバーグ最高経営責任者は強調する。
■担い手不足補う新技術
宮城県の松島湾は身が大きめの良質なカキを育んできた。
地元・東松島市の県漁協鳴瀬支所の組合員は今年から
スマートフォンに釘付けだ。養殖棚周辺の水温が送られて
くるようになったのだ。海に浮くブイに付けたセンサーで水温を
測定し、NTTドコモの通信機器で情報を送り始めた。
東日本大震災後、海の様子が変わった。水温が比較的高くなり、
カキの成長も速まったという。漁協の青年部長、二宮義秋さん
は「昔から伝承してきたやり方が役に立たなくなった」と言う。
そこでカキの生育に重要な温度を常に正確に測ることができる
システムの導入を決めた。
水温がどのくらいになったら、次はどういった作業をしていけば
よいのか。これから3〜5年かけて水温の変化を分析し、
効率的なカキの養殖法を新たに探っていくつもりだ。
二宮さんは「これまで漁業はほとんど水温を緻密(ちみつ)に
把握してこなかった。分析結果を活用すれば、養殖が楽に
なるのではないか」と話す。
人口減少に輪をかけて、担い手が減っていく日本の農林水産業。
ITを生かした作業の効率化は、一筋の光明になりそうだ。
農機具メーカーのヤンマーが開発するロボットトラクターは誰も
乗らずに畑を耕していく。タブレット端末を使い、走行コースを
設定。人工衛星の測位システムで位置を把握し、耕作の誤差は
数センチメートル以内。「人間が運転するより正確に進めることが
できる」と、同社アグリ事業本部の日高茂実プロダクトマネジャーは
話す。国が20年までに、としている遠隔監視で動かせる機種の
実用化に向け、開発は詰めの段階だ。
IT化の波は畜産にも及ぶ。富士通九州システムズが手がける
「牛歩SaaS」は、ウシの発情を見逃すのを防ぐシステムだ。
ウシの脚に付けた歩数計が動きを記録。見ていなくても発情して
暴れたかどうかがわかるので、人工授精のタイミングを
しっかりおさえることができる。
■世界規模、巨額買収も
国際連合の予測では50年に世界の人口は100億人に近づき、
現在より3割強増える。一方、穀物生産量は2割弱しか増えない。
食糧問題の解決に果たす役割が大きい農業ビジネスでは今、
世界規模となる巨額のM&A(企業合併・買収)が相次いでいる。
独農薬大手バイエルは14日、モンサントを総額660億ドル
(約6兆8千億円)で買収すると発表。
クライメート・コーポレーションを含むモンサントを傘下に収め、
ITを生かした農業の進化を急ぐとみられる。
IT農業に詳しい野村総合研究所の桑津浩太郎氏は、
「こうした情報を一手ににぎる農法メジャーが生まれる」と予言。
データを駆使して編み出した効率的な農法がいずれ、国境を
越えて販売されるとみる。
私たちの食に与える影響にも関心が集まりそうだ。
「自分たちの食べるものが工業的に作られるように思えれば、
『不気味の谷』(ロボットが人間に近づくにつれ嫌悪感を覚える現象)の
農業版ともいうべき課題が現れる可能性がある」と桑津氏は見る。
遺伝子組み換え作物などに対する消費者の不安はぬぐい去れていない。
企業や生産者には、IT農業の進化に取り組む一方で、食の安心・安全が
得られる「説明責任」も求められる。
(セントルイス=福田直之)