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2013年10月26日

患者紹介料、規制へ一歩 医療界には慎重論

患者紹介料、規制へ一歩 医療界には慎重論
朝日新聞  2013年10月24日

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問診療と患者紹介の構図/朝日新聞が報じた「
訪問診療」をめぐる問題事例と厚労省が示した対策



患者を食い物にするケースが次々明るみに出た高齢者施設への
訪問診療について厚生労働省は23日規制を強める方針を示した。
検討の柱は、業者が医師に患者を紹介し、見返りに手数料を
受け取る「患者紹介ビジネス」の禁止や診療報酬の引き下げだ。
ただ、医療界には慎重論も根強い。有効な対策がとれるかが、
今後の議論の焦点だ。

「患者紹介を受け紹介料を払うことは患者を取引の対象とするもの。
保険診療への信頼を損なう。過剰な診療のおそれもある」

23日に厚生労働省内で開かれた中央社会保険医療協議会
医療行為の公定価格である診療報酬を話し合う場で、厚労省が
規制強化の検討を求めた。
訪問診療の問題点は以前も中医協
議題になったが、十分な対策はとられなかった。8月以降、
朝日新聞がさまざまな問題事例を報じ、厚労省も実態把握や
対応を迫られた。

出先機関を通じて調べたところ、20施設で不適切な事例が
見つかった。しかし担当者は「もう少し報告があると思ったのだが。
患者紹介はグレーゾーンなので、現場も実態をつかめて
いないのでは」と漏らす。

だが問題の広がりはデータからも垣間見える。この数年、
訪問診療の件数が増加傾向にあるなか、同じ施設で複数の
患者を診察する割合も伸び続けている。昨年度の調査では
1日に60人を訪問診療した医師もいた。「荒稼ぎ」を
防げていないのが実情だ。

厚労省は、この日の中医協で医療機関の患者紹介料の
支払い禁止を提案した。高齢者施設や仲介業者の紹介行為
自体は違法とは言えない。そこで保険診療のルールを定めた
省令を改正し、医師の側を規制する。

診療報酬の請求時、訪問場所などの記録を求めないルールも
改め、記録提出を要件にする方針だ。集中的な訪問診療による
「うまみ」を減らすため、同じ施設で多くの患者を訪問診療した時の
報酬引き下げも検討する。

だが医療界では慎重な意見が出ている。中医協委員の
鈴木邦彦・日本医師会常任理事は「本来取り締まるべきは
紹介業者。医師を規制しても解決にならないのでは」。
また訪問診療に力を入れるある医師は「むやみな診療
報酬
の引き下げは、在宅医療の普及にブレーキを
かけてしまう」と心配する。

厚労省は、来年4月の診療報酬改定に合わせて対策を

実施したい考え。ただ、中医協では診療側委員の発言力が
強い。意見集約は難航する可能性もある。

■氷山の一角か 急病時には往診せず/「無料だからいいでしょ」

今回の調査について厚労省は「網羅的ではない」と認めており、
まだ氷山の一角の可能性がある。患者紹介ビジネスの実態を
朝日新聞が報じてから、読者から150件を超える情報が
寄せられている。大半は高齢者施設の入居者の親族からで、
施設で受ける診療に不満があり、紹介業者の関与を疑っている。

大阪市内の女性(49)は昨年12月ごろ、両親をサービス付き
高齢者向け住宅に入居させた。父親を通い慣れた病院に通
院させたかったが、施設の「仲介業者」と名乗る人から
「施設で両親の具合が悪くなったら、誰が診るんですか」と
言われ、やむなく施設側が紹介した医師に切り替えた。

自宅では、かかりつけ医が1〜2カ月に1度往診していたが、
施設では月2回に。月1回にするように頼んでも、紹介された
医師は「2回でないと、何かあっても病院を紹介できない」と
拒んだ。ところが、父親の足のむくみが急にひどくなったときに
往診を頼むと、医師は「私は行けない」と対応してくれず、
やむなくタクシーで父親を病院に連れて行った。
女性は「施設では高齢者が食い物になっている」と憤る。

神奈川県の女性(74)の妹(70)が入居する有料老人ホーム
では、2週間に1度、ホームにくる医師が60人の入居者を
次々に診察する。妹の診察料は月6万円になったほか、
「頻尿だから」「骨を強くするため」などと言われて薬代も
月6万円にのぼる。妹には視覚障害があり、国の助成で
医療費の自己負担は
ないが、女性は「保険料を払っている
若い人にしわ寄せがいく」と心配する。
医療費が高い」と診療を減らすように頼んでも、看護師は
「無料だからいいでしょ」と取り合ってくれないという。

日本では、患者が診療所や病院を自由に選ぶ権利が保障
されている。施設側とトラブルになったら、都道府県や政令
指定都市
に相談窓口がある。また訪問診療してもらえる
医師を自分で探すには、全国に約4千カ所ある地域包括
支援センター
のほか、
一般社団法人「全国在宅療養支援診療所連絡会」
(本部・東京、03・5213・3766)で相談に乗ってもらえる。

(沢伸也、月舘彩子)
■訪問診療、制度に抜け穴

《解説》訪問診療は、「高齢者が長く住み慣れた地域で
暮らせるようにする」との理念のもと、国が普及に力を
入れてきた。不必要な入院で無駄な医療費が使われる
状態を是正する狙いもある。だが大義名分の陰で、
一部の医師や業者がもうけに走った。被害者は患者だけ
ではない。保険料や税金を払う国民全体に負担を
押しつけている形だ。
問題事例の多くは、明らかな不正と
隣り合わせの「グレーゾーン」にある。厚労省によると
、医師と施設が入居者の診察を独占する契約を結んだり、
患者紹介料をやりとりしたりする行為は、今の制度では
違法とは言えないという。

訪問診療は月2回以上訪問すると特別な上乗せがあるなど
診療報酬で優遇されている。でも訪問先の記録提出は
不要だ。こうした運用やチェックの甘さも、もうけ優先の
医師らがつけこむ穴となっている。健康保険の運営団体の
幹部は「今のやり方は粗すぎる」と批判する。

厚労省の担当者は「アクセルとブレーキの加減が難しい。
まじめに訪問診療する医師のやる気をそいではいけない」。

高齢者医療の現場では、医師の立場が圧倒的に強い。
患者を犠牲にして利益をむさぼる事例の防止と、在宅医療の
推進をどう両立させるかは難題だ。実態把握をさらに進め、
診療報酬
や規制をきめ細かく見直すことが欠かせない。

 (高橋健次郎)

関連記事です。
在宅医療はホスピスの代用品なのか? [仕事のこと]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
今日は胃カメラの日なので、カルテの整理をして、
それから今PCに向かっています。
それでは今日の話題です。
在宅医療専門のクリニックがありますね。
最近そうした開業も増えているようです。
何故増えているかと言えば、病院に長く入院している
患者さんを減らしたい、という行政の方針があり、
そのために24時間体制で患者さんを診ることの出来る、
在宅医療のクリニックに対して、診療報酬を手厚く
配分したからです。要するに、通常の外来の診療を
しているより、遥かに儲かるシステムになったのです。
六号通り診療所でも、在宅医療は行なっています。
ただ、外来の診療も同時に行なっているため、
在宅医療に割ける時間は自ずと限られ、そのために、
それほど多くの患者さんを診ることは出来ません。
在宅医療と外来の診療では、その必要な医療用具や
備品も少し異なります。また、外来の診療には、
患者さんがお待ち頂く場所や検査をする場所、
診察をする場所と、多くのスペースが必要ですが、
在宅医療は患者さんご自身のお宅に伺い、
そこで診療を行なうので、極端に言えば小さな部屋が
1つあれば、開業は可能です。従って、在宅医療と
外来診療を両方行なうより、在宅医療に特化した方が、
遥かに利益率は高い、という理屈になる訳です。
僕はある在宅医療専門のクリニックに、何度か研修に
伺いましたが、そこでは専属のドライバーの方を何人も
雇っていて、専用の往診車が何台もずらりと並び、
その車にそれぞれ医者を乗せて、何班にも分けて
都内を幅広く巡回していました。
夜間は当直の職員とドライバーがいて、連絡があれば
医者を乗せて、速やかに患者さんのお宅に駆け付ける
システムです。
ちょっと圧倒されましたし、もう在宅医療など細々やるのは、
無意味だから辞めてしまおうかな、と思いました。
1人で無理を押してせっせと駆け回っているより、こうした
システムで守られていた方が、どんなにか患者さんも
ご家族も安心でしょう。
こうした圧倒的な物量がありながら、そこに掛からずに
診療所に掛かった患者さんは、気の毒なのではないか、
とも思いました。
ただ、最近その考えを変える出来事が幾つかありました。
Aさんという患者さんがいて、骨の癌があり、手術後に
再発して、肺に転移をしました。
何度か抗癌剤の治療を病院で行ないましたが、
その効果はあまりなく、副作用の面からも、もう治療は
打ち切ろう、という話になりました。
その病院は在宅医療専門のクリニックと提携していて、
「これからは残された時間を、お家でゆっくり過ごされる
のが良いですよ」という話になりAさんは退院となって家に
戻りました。ケアマネージャーとホームヘルパーと、
訪問看護師と在宅医療の医者とが、どっとその日に
患者さんのお宅を訪れベッドをどうするとか、入浴をどうする、
というような話になります。痛みがあったら言って下さい、
呼吸が苦しければ言って下さい、のような話があり、
それから潮が引くように誰もいなくなりました。
Aさんが自殺を図って救急車で病院に運ばれたのは、
その夜のことです。

僕はそのお話を聞いた時、Aさんがどうして自殺を
図ったのか、本当の意味ではよく分かりませんでした。
将来を悲観したのだろう、とは思いますが、
何故わざわざ退院の当日、ご家族と久しぶりに
一緒に過ごした晩に、自殺を図らなければ
ならなかったのでしょうか?
在宅医療のクリニックの先生も、勿論お分かりには
ならなかったと思います。
それから最近になって、また別の事例がありました。
患者さんはBさん、診療所に定期的に掛かっていた方で、
ある時血尿があり、それで総合病院の泌尿器科で
検査をしました。結果は問題はないが、定期的に検査は
する必要がある、ということだったので、それからは
3ヶ月毎に病院でおしっこなどの検査が行なわれました。
そして、最後の受診からほんの1ヶ月後のことです。
Bさんは胸の痛みを訴えて診療所にお越しになり、
レントゲンを撮ると胸に水が溜まっていました。
それで泌尿器科と同じ病院の呼吸器科にご紹介すると、
すぐに入院となり検査が進められました。
結果は尿管の癌で、それが肺に転移しているのでは、
という所見でした。
もう転移しているので手遅れで治療は出来ない、
という宣告がなされ、矢張り提携している在宅医療の
専門クリニックに紹介になります。「これからは残された
お時間を、ご自宅でゆっくり過ごされるのがいいですよ」
「このクリニックなら病院とも連携が取れているし、
24時間対応なので安心ですからね」という訳です。
Bさんは退院となり、ご自宅に戻りました。
僕は患者さんとの間に、長い関係もあったので、
そのクリニックの診療とは別個に、お邪魔にならない
範囲で、ご訪問に伺いました。
すると…
Bさんは退院の時には、
まだ普通に歩ける状態だったのですが、わずか10日
ほどの間に、みるみる衰弱が進行して、息苦しさの
ために、食事も殆ど取れない状態になっていました。

クリニックの医者は、
「水が胸に溜まって来ているのだと思いますが抜けば却って
具合が悪くなりますから、どうすることも出来ません」
と言います。ご家族は食事も取れないので、
点滴をするのはどうでしょうか、と尋ねましたが、
「今の状態なら、このくらい食べれていればいいでしょう」
と受け付けてはくれません。このくらい、と言うのは、
せいぜい1日に200キロカロリーの栄養剤1缶と、
ヨーグルトが1個だけです。
「病院入院すれば点滴や水を抜くことも出来るのでしょうか?」
と尋ねられて僕も困りました。ご家族は全然知らない先生より、
僕の方が色々と相談出来て嬉しい、と言ってくれます。
Bさんご本人も、朦朧としたご様子ながら、僕には笑顔を
見せてくれます。社交辞令かも知れませんが、
それでも僕はお伺いして良かったと思いました。
そして、何か暗澹とした気分になります。
クリニックの医師の考えは分かります。
はなから看取りという病院からの説明だったのでしょうし、
それに沿って、基本的には何もしない、というプランを
立てているのです。治療は効果がなく、無意味なので
行なわないのです。
在宅で胸の水を抜くのは危険ですし、点滴はその場
しのぎで意味はありません。むしろ衰弱は進行した方が
患者さんの痛みや苦しみは減ることが多いのです。
しかし、その認識は果たしてBさんご本人と、ご家族に
共有されているでしょうか?
現実には決してそうではありません。
胸に水が溜まって苦しいのであれば、それは抜いて
欲しいし、その行為が危険なのなら、一時的にせよ
入院させてもらいたいのです。食事が取れなければ
点滴をして欲しいのです。

しかし間違ってもクリニックの医師は入院の話などは
しないでしょう。病院が在宅診療専門クリニックに紹介
したのは、そういう意味だからです。
病院は自分達が治療の必要性がないと判断した
患者さんを、早く切り離すのがその目的なのです。
常にそうという訳ではないでしょうが、
少なくともこのBさんのケースではそうです。

病院にとって一番の面倒事は何でしょうか?
Bさんのような患者さんが救急で病院を受診したり、
もう治療の必要性はないのに、それでも入院を希望
したりすることです。それを避けるために、提携した
在宅診療のクリニックが存在するのです。
つまり、治療の適応のない患者さんを、二度と病院に
関わらないように、遠ざけてくれるのがこうした
クリニックです。防波堤となって、患者さんが絶対に
病院には行かないように、そうした行為を食い止めて
くれる存在なのです。
在宅診療のクリニックの立場に立てば、病院と
提携することで、黙っていても次々と患者さんは
送られて来ます。そして、その患者さんは看取りだと
いう説明で、基本的には何も治療行為は行なわない
のですから見守るだけで診療報酬が入ってくる訳です。

すいません。
ちょっと悪意のある言い方過ぎたような気がします。
在宅診療のクリニックというのは、勿論それだけの
場所ではありません。これまで非常な苦労をして、
病院に通い、何時間も無益に待って、具合が悪く
なっても、救急車で受診する以外に、診ては
くれなかったような患者さんが、そうした苦労なく、
きめ細かい診療を受けることの出来る場所であり、
医者もその患者さんの人生に寄り添った、
人間味のある医療を実践する場でもあります。
ただ、それは概ね、
たとえば難病でお元気ではあるけれど寝たきりの
方とか、脳梗塞はされたけれども、全身状態は
常に悪いという訳ではない、というような方です。
そうした方と、病院というシステムから、
無用の存在として弾かれた、看取りという烙印を
押された患者さんとは違います。
ホスピスというシステムがあります。
医療からはある意味弾かれてしまった末期の癌の
患者さんが残された人生を人間的に過すための
場所です。上の事例のAさんにしてもBさんに
してもホスピスという適応のある方でもあります。
つまり、ホスピスのある種の代用品として、この在宅
医療専門クリニックは利用されている訳です。
しかし、そのことが、本当にそのサービスを提供する
側と、サービスを受ける側とに、共通の認識として
存在しているでしょうか?そんなことは決してない、
というのが僕の最近強く感じていることです。
在宅医療専門のクリニックは、そうした看取りの
患者さんと、そうではない慢性の経過の患者さん
とで、その対応をしっかりと分けているでしょうか?
そうしたクリニックもあるでしょうが、
僕の知っているところはそうではありません。
そうでない患者さん以上に、看取りの患者さんは
その人間性を、人間の尊厳を尊重される環境に、
置かれるべきだと僕は思います。
しかし現実にまず病院の対応がそうではありません。
看取りの患者さんは病院にとって無用の存在であり、
ちょっと極論かも知れませんが、既に生きている存在と
見做されていないのです。つまり、ある種の不要と
仕分けされた物体と扱われているのです。
その物体は極めてオートマチックに、
「在宅医療専門クリニック」という「処理装置」の中に、
ベルトコンベアーで運ばれるように入って行きます。
Aさんが退院の日の夜に
自殺を図ったのは何故でしょうか?
それは自分が死という帰結に向かう、
ベルトコンベアーに、知らずに乗せられたことを
知ったからです。

自分がそうと知って決断したことなら納得が行っても、
この決断は病院の主治医とクリニックの医師との間で、
基本的には決められただけのことなのです。
「これからは残されたお時間を、自宅でゆっくり過される
のがいいですよ」という言い回しの何処に、
患者さんとその家族の尊厳が存在するのでしょうか?
Aさんは退院して、自分をベルトコンベアーに乗せる
スタッフに囲まれた時に、初めてそのことにはたと
気付いたのです。Aさんに出来ることは、自分の尊厳を
取り戻すことでした。自分が誰かの手によって既に死んだ
存在と見做されているなら、それに抵抗する方法は
何でしょうか?それは自ら命を絶つことによって、
他人に決められた運命に抵抗することです。
Bさんのお宅には頻繁に医師や看護師が、クリニックから
訪れます。しかし、何か医療行為をする訳ではありません。
せいぜい薬を出すか、採血をするくらいが関の山です。
採血の結果で貧血が強くても、「仕方がないですね」で
終わってしまいます。それならそんな採血に何の意味が
あるでしょうか?Bさんのご家族は点滴や胸の水を抜く
ことを希望されますが、それも「そんなことをすれば、
却って辛くなりますよ」で終わってしまいます。
しかし、Bさんのご家族は、何故医師や看護師が、
頻繁にご家庭を訪れることを望んでいるのでしょうか?
それは少しでもそのことによって、Bさんが今より
お元気になり、少しでも病状が回復し、より人間的な
時間を過ごすことを、期待しているからです。
ただ、見守るだけのことなら、
何故それが偉そうな医者である必要があるでしょうか?
呪術師やセラピストや、超能力者や隣の親切な
おばさんでは、何故いけないのでしょうか?
人間的な生活や尊厳から、程遠い職種の人間が
偉そうに訪問し、毎回「仕方ないですね」と言われる
くらいなら、嘘でもいいから、「これで癌は小さくなるよ」と
謎めいた黒い丸薬を、売りつける旅の薬売りの方が、
人間にとって最も大切な、「希望」という宝物をくれる
のではないでしょうか。
僕は日々の診療の中で、在宅医療のシステムから
抜け落ちている何かを補完したいのです。
その規模では太刀打ち出来ない目の眩むようなシステムですが、
そこにもほころびがあり、そこで幸せになれない多くの人が、
実際には存在するのではないかと気付いたからです。
Bさんのご家族には医療というものに対する信頼があるのです。
ですから医師が訪問し看護師が訪問することがBさんにとって
意味のあることであり、それによりBさんが生かされている、と
信じているのです。
しかし、現実には医療の提供者にはそうした意識はないのです。
全くとは言いませんが、そのクリニックの診療記録を読む限りは、
その意識は極めて薄いと僕は思います。
「お辛いのはお胸に水が溜まっているせいだと思います。
でも、治療はご負担が大きいので、様子を見るようお話しました」
というようにそこには書かれています。
こうした記録を、在宅医療の診療所は、
患者さんに渡すことが義務付けられているのです。
しかし、これは一体誰のための記録でしょうか?
ここに誰に対するどのようなメッセージがあるのでしょうか?
僕はこうした心のないきれいごとを最近は
憎む気分になっています。これがもう少し以前でしたら、
患者さんが一旦病院を退院になり、また胸にお水が
溜まって苦しくなれば、ご家族は病院に連絡を入れ、
また入院になって必要最小限の治療をする、という経緯を
取るのが一般的でした。そうした治療が不合理なもので、
病院にとっては負担ばかりが大きく、収益にもならない、と
いうことは僕にも分かっています。
ただ、たとえばBさんの場合、そうしていれば、もう少し
お元気な時間が、長かったことだけは確かです。
「そんなことをして引き伸ばしても無意味だ」
という意見があるのは分かります。
しかし、それは勝手に病院医師が判断するべきことでしょうか?
病院でもう少し長く経過を見た場合と、「看取り」マシーンに
委ねた場合とで、どのような違いがどれだけあるものかは、
もっとしっかりとBさんご本人とご家族とに、説明し了解
されるべきではなかったでしょうか?
確かにスパゲッティのように管だらけにされて、無意味な
延命を病院で続けることが、人間性を無視した行為だと
いうことは分かります。
しかし、まだ治療の余地が皆無とは言えない癌の
患者さんを、1人の医者の判断で「看取り」と決め、
有無を言わさず「在宅医療専門クリニック」に
引渡して、それで一丁上がり、もう関係はありません、
というのは、それもある意味人間性を無視した
対応ではないのでしょうか?
ごめんなさい。
まだ、良く分からないのです。
しかし、絶対に何かが間違っています。
それでも無用と言われれば引き下がりますが、
僕はBさんに何もしないことが正しいことだとは
決して思いません。何かがある筈です。
見守るといういうきれいごとではない何かが。
この世に奇跡はないのでしょうか?
Bさんのような良い人は他にはいないのに。
畜生、それをあっさり「看取り」と仕分けした何かを、
僕は決して許す気にはなれないのです。
最後は感情が先に立って、
どうもうまくまとまりません。
でも、僕は最後まであきらめず、
僕に出来る何かを探すつもりです。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。


コメントです。

患者紹介ビジネス記事の続報です。


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posted by salsaseoul at 00:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本・社会